マリオさんを偲んで。
2011年 10月 05日
10月5日 今日はマリオさんとのお別れのセレモニーの日。
無現に広がるモンゴルの平原の様に広く深い愛の心を持っていたマリオさん。
何時も優しい微笑のマリオさん。
想像を遥かに超える思いやりの心使い、今まで出会った事のない人格。
台湾の高山をこよなく愛し好きだったマリオさん。
山登りの相棒Joyの悲しみも計り知れない。
原住民の人々を心より尊敬し愛していたマリオさん。
今日のマリオさんの葬儀には原住民の筆頭長(おさ)花蓮の長の元各地の長が
参列し最後の別れを偲んでいる事だろう。
台湾に先史時代から住んでいる原住民の方々、
華人が台湾に大陸から渡って来たのは精々4百年でしかない。
マリオさんが手がけていた事業は可也多かった様だ。
一番傾注していた花蓮での日本人向け老後の定住村作り。
マリオさんの意思を継いで良いものが出来る事を祈りたい。
実に多岐にわたる事に情熱を傾けていた事は残された人々により
受け継がれ事が進んで行く事を信ずる。
マリオさんとの出会いは昨年6月登山ツアーで玉山と雪山への登山終了後に
台北日本人会で台湾の山に詳しく山好きな人を訪ねたところ
マリオさんを紹介され、即電話連絡後お会いしたのが初対面。
その場には日本から来られ台湾映画について取材中の川瀬さんが来られ
3人での対面となった。
それから直ぐに日本でマリオさんに再会する事になる。
7月のある日マリオさんから電話が入る。
八ヶ岳山麓でレンタル農園を経営している友人宅に泊まるので会えませんかとの内容
直ぐに逢いましょうと返事。
友人宅を訪ねた時は丁度ベランダで夕食中だった、私も加わりマリオさんと
会話をしながら夕食を楽しむ。翌日は早朝より我が家の車で富士山の良く見える
甘利山をご案内する、この日は夏には珍しく空気が澄み富士山が良く見え
マリオさんは撮影スポットで座り込み富士山の撮影に熱中。
甘利山は過去5年間週末毎に山野草の記録撮影に取り組んだフィールドワークの山。
今年から始めた台湾の高山植物の撮影登山の原点になる。
4月に渡台し台湾の高山に登るに当たり山の情報を得られるのではと考え
台湾の山岳協会に入会の際に立ち会い応援してくれた時の記念写真。
台湾の山登りの機械は4月29日だった、写真は台湾最高標高の国道の
最高点嶺武海抜3275m、看板の右側に記念撮影するマリオさんが小さく写っている。
マリオさんはこの樹齢2700年の鹿林神木がお気に入りだった。
2度一緒に訪れる事になる。
阿理山麓の民宿の主人のひろしさんと娘さんと記念撮影。
子供と話す時のマリオさんは更に優しい笑顔になる。
まるで孫と話をするお爺ちゃんだ。
最後にマリオさんにお会いする事になったのは
世界少年野球大会で高雄に2度来られた時になってしまった。
開会式は現総統と主催者代表のホームラン王の王さんが参加され式典が高雄市で行われた。
7/29 と8/1 試合後に歓談したのが最後の対面になってしまった。
それから1カ月後に台北でお会いする予定で定刻を過ぎたので此方から電話を
差し上げて健康状態が悪く大きい病院に緊急入院しなければならないかも知れない
と仰っておられその2日後に台湾大学病院に緊急入院で集中治療室に入り治療されていた。
最悪の事態は突然でした、9月20日昼過ぎにマリオさんの山登りの相棒MARK JOYから
私の携帯電話に電話が入り、悲しい報告だた、全く信じられない連絡だった。
その日の夕方フォルモサ日本人会の林さんから同じ連絡が入り
事実で有る事を受け入れざるを得なくなり心が沈んでしまう。
天国のマリオさん
安らかにお眠りください。
2011.10.05
jimmy
無現に広がるモンゴルの平原の様に広く深い愛の心を持っていたマリオさん。
何時も優しい微笑のマリオさん。
想像を遥かに超える思いやりの心使い、今まで出会った事のない人格。
台湾の高山をこよなく愛し好きだったマリオさん。
山登りの相棒Joyの悲しみも計り知れない。
原住民の人々を心より尊敬し愛していたマリオさん。
今日のマリオさんの葬儀には原住民の筆頭長(おさ)花蓮の長の元各地の長が
参列し最後の別れを偲んでいる事だろう。
台湾に先史時代から住んでいる原住民の方々、
華人が台湾に大陸から渡って来たのは精々4百年でしかない。
マリオさんが手がけていた事業は可也多かった様だ。
一番傾注していた花蓮での日本人向け老後の定住村作り。
マリオさんの意思を継いで良いものが出来る事を祈りたい。
実に多岐にわたる事に情熱を傾けていた事は残された人々により
受け継がれ事が進んで行く事を信ずる。
マリオさんとの出会いは昨年6月登山ツアーで玉山と雪山への登山終了後に
台北日本人会で台湾の山に詳しく山好きな人を訪ねたところ
マリオさんを紹介され、即電話連絡後お会いしたのが初対面。
その場には日本から来られ台湾映画について取材中の川瀬さんが来られ
3人での対面となった。
それから直ぐに日本でマリオさんに再会する事になる。
7月のある日マリオさんから電話が入る。
八ヶ岳山麓でレンタル農園を経営している友人宅に泊まるので会えませんかとの内容
直ぐに逢いましょうと返事。
友人宅を訪ねた時は丁度ベランダで夕食中だった、私も加わりマリオさんと
会話をしながら夕食を楽しむ。翌日は早朝より我が家の車で富士山の良く見える
甘利山をご案内する、この日は夏には珍しく空気が澄み富士山が良く見え
マリオさんは撮影スポットで座り込み富士山の撮影に熱中。
甘利山は過去5年間週末毎に山野草の記録撮影に取り組んだフィールドワークの山。
今年から始めた台湾の高山植物の撮影登山の原点になる。
4月に渡台し台湾の高山に登るに当たり山の情報を得られるのではと考え
台湾の山岳協会に入会の際に立ち会い応援してくれた時の記念写真。
台湾の山登りの機械は4月29日だった、写真は台湾最高標高の国道の
最高点嶺武海抜3275m、看板の右側に記念撮影するマリオさんが小さく写っている。
マリオさんはこの樹齢2700年の鹿林神木がお気に入りだった。
2度一緒に訪れる事になる。
阿理山麓の民宿の主人のひろしさんと娘さんと記念撮影。
子供と話す時のマリオさんは更に優しい笑顔になる。
まるで孫と話をするお爺ちゃんだ。
最後にマリオさんにお会いする事になったのは
世界少年野球大会で高雄に2度来られた時になってしまった。
開会式は現総統と主催者代表のホームラン王の王さんが参加され式典が高雄市で行われた。
7/29 と8/1 試合後に歓談したのが最後の対面になってしまった。
それから1カ月後に台北でお会いする予定で定刻を過ぎたので此方から電話を
差し上げて健康状態が悪く大きい病院に緊急入院しなければならないかも知れない
と仰っておられその2日後に台湾大学病院に緊急入院で集中治療室に入り治療されていた。
最悪の事態は突然でした、9月20日昼過ぎにマリオさんの山登りの相棒MARK JOYから
私の携帯電話に電話が入り、悲しい報告だた、全く信じられない連絡だった。
その日の夕方フォルモサ日本人会の林さんから同じ連絡が入り
事実で有る事を受け入れざるを得なくなり心が沈んでしまう。
天国のマリオさん
安らかにお眠りください。
2011.10.05
jimmy
by xgxkk396
| 2011-10-05 15:33
| つれづれ